「私に関するいくつかの物語」
■少年時代
■次男ライフ
□"好きなこと"から学んだこと・バスケ
□"好きなこと"から学んだこと・麻雀
□"好きなこと"から学んだこと・世界旅行
■仕事とバイト
■30歳無職&貯金ゼロ
■輸入ビジネス
■ひとり起業で、25,000人に商品を販売
■新たなる挑戦へ 「 I have a Dream 」
「モノを分解しまくる男の子」
親父が小さな工場を営んでいたことから、モノの仕組みが気になる子供に育ちました。
こっそり工場に侵入して、商品である機材やパーツに勝手に触っていました。
気になりだすと止まらない性格から、家の中にある家電製品なんかは、僕の好奇心を満たす格好の犠牲となりました。 時計、電気体重計、ファミコン、おもちゃのエアガン、VHSデッキ… しまいには、親父の形見の防水腕時計まで分解してしまいました!
一方で、「説明書に頼るのがスゴい嫌い」という妙な性格に、負けず嫌いが掛け合わさって、自分で分解したくせに直せなく、悔しかった経験があります。
それが、今になっても「気になることは調べる」「自分でやる」ということに繋がっているんだと思います。
「下の子はサバイバルで強くなる」
4歳上の兄貴がいます。 お陰で、下の子特有の知恵(≒ズル賢さ)がつきました。
「どうやったら兄貴にバレずにあのマンガを読めるのか?」
「何をしたら、兄貴のご機嫌が良くなったり、悪くなったりするのか?」
「兄貴が〜〜して、親父に怒られているから、自分は〜〜はヤメておこう」
そんなことばかり考えて育ちました。 はっきり言って"兄貴さまさま"です。
そして、なによりもこのお陰で、
私ののちの人生は「しくじりづらい」ものへとなっていくのでした。
「環境が人を育てる」
12歳から大人になるまで、自分なりに真剣に取り組んでいました。
高校3年の夏なんかは、部活を引退しても、午後の授業をサボって体育館でバスケしてました(笑)。
当時は、身長の伸びの鈍化から、センター→フォワード→ガードとポジンションを渡り歩くことになったんですが、そのお陰で、その各ポジションを努める人の気持ちやメカニズムを理解出来たことと思っています。 どこにどんなタイミングでのパスが、次の行動へスムーズに移りやすい…とか。
なので、プレイヤーとしてよりも、チーム戦術の組み立てをすることのほうが得意になりました。
ここで私はこんなことを学びます。 そもそも相手と交わってやるスポーツなので、必然「相手の強いトコを封じて、弱いトコを衝く」ということばかりを考えるようになります。
そんなことを鍛えられたので、戦いになるとその強みを発揮するのですが、ヒトとしてはイケない部分に強く影響してしまいました…
何故なら、"相手を打ち負かす"というのが至上命題でしたから…
お陰で、どこに身を置くかで、思考がこんなにも片寄るのだと、もっと大人になってから知りました。
それは結果として、環境の重要性を体感させてくれるものでもありました。
「"好きなこと"から学んだこと」
12歳から20歳くらいまで、時間とメンツが揃えば、麻雀ばかりしていました。 中学の修学旅行に麻雀セットを持参して、先生と一緒に打ってたほどハマっていました! 高校受験の時期も打ってました…
きっかけは、当時、ちょっと不良だった兄貴の影響です。 よく兄貴の部屋で、ツッパリ君たちが集まって、楽しそうにやっていたのに惹かれたようです。 実際、親父もよくやっていたので、家族間ではフツーだったのかもしれません。 何故かウチには、全自動麻雀卓もありましたし… しかも、2台!
それでも、「もうヤメよう…」と思う転機が訪れました。 それは、【幻の役満】と言われる九連宝燈(チューレンポウトウ)を19歳でアガッたからなんです。 なんでも、「アガッたら死ぬ」という都市伝説があるほどの役満なので、それにびびって… 笑
この麻雀時代に学んだことはーーー、間違いなく学校教育では得ることの出来ない経験だったと思います。 例えばそれは、(1)どんな状況でも自分有利に進めるための事前知識、(2)状況把握するための観察力、(3)望む結果に辿り着くための大局観、そして、(4)人間心理を学ばさせてもらったことになります。
そして、それがその後の人生へ、別の観点を備えつつ、ずっと結びついていくことになりました。
仕事とバイトはたくさんしました。
単純にお金が欲しかったのと、いろんな経験がきっとのちのち何かの役に立つと勝手に信じていました。
引っ越し作業員、カラオケ店員、すし屋のデリバリー、通訳、交通量調査、イベント会場設営〜観客整理、アパレル店員、ウェイター、宅急便の仕分け、倉庫整理、ピッキング、配膳…
真冬の寒い中の交通量調査や、埃まみれの倉庫整理、魚介類が苦手なのにやったすし屋のデリバリー…、そんなこんなが今のところなんの役にたっているかは、まだわかりません。
ただ、たくさんの様々な人々と接する貴重な経験にはなりました。
きっと日常の生活だけでは出会えいない、様々なタイプの人たちの生きる様子を目にすることで、自分の人生に具体的なイメージが湧いたようにも思いました。
ただ、びっくりしたことは、なにかのお手伝いをするだけで、お給料が発生するということ。
言い換えれば、何かしらのカタチで人のお役に立てることで、お金がもらえる仕組みを学んだときでした。
「この目で世界を見てみたい」
そんな想い1つで、気がついてみたら100カ国くらい旅をしてしまいました。
アジア、中東、欧州、北米、南米、オセアニア、南極… 気になるトコには、ほぼ行きました!
ガラパゴス諸島や、イースター島にも、気になるので行ってみました!
道中、至るところで、人のお世話になりました。
初めて会った人の家にも泊めてもらったりもしました。
それも、タイ、イラン、スウェーデン、カナダ、マリ… など先々で。
感謝すると同時に、
「初めて会う外国人である自分を、自分の家によくも泊めてくれるもんだ」
と、感心させられました。
実際は良い思い出ばかりではなく、インドで騙されたり、エクアドルでバックパックをまるまる盗まれたり、ミャンマーでマラリアになったり、夜中2時到着の空港で麻薬の検査を受けたり、国境から街までの4時間に15回も賄賂を請求されたり!
加えて、東洋人に対する差別からか、冷たい態度であしらわれたり、若者が仕事もせずにフラついていることに対する嫉妬だったり… そんなこともたくさんありました。
それでも、僕にとっては全てが"幸運"でした。
振り返ってみても、
「もしやあれは、前世の体験だったのでは?」
と思うくらい、不思議であり、貴重であり、
人生最高のレッスンだったことは間違いありません。
「現実世界の中で」
そ
「基盤ゼロから25,000人のお客さんに価値を届ける」
iPhoneケースを製造して、販売していました。
始めの頃は、輸入転売というのを、人に教えてもらったりしながらやっていました。
StarWarsのおもちゃや、PatagoniaのTシャツ、SNOOPYグッズなんかをアメリカから輸入して販売してましたが、うまくいかないことも多々あり…。
うまくいったとしても、物販特有の作業に疲弊することになりました。
商品リサーチ、海外からの仕入れ、商品画像撮影、商品説明文の作成、出品、質問対応、入金確認、梱包、発送手配、アフタフォローなどの一連の流れを経てやっと手に入るわずかばかりの数百円の利益。
「これではカラダもココロももたない…」と、身を以て実感しました。
その中で学んだ経験を基に、一番良い経験になったのがiPhoneケースでした。
中国で製造して、日本の大手ECサイトで販売していました。
なんの知識も技術も資金もなかった自分が、
世の中の需要を抽出して、カタチにして、お届けすること… 25,000人!?
しかも、1日1時間程度の作業時間で…
ビジネスというものを、しっかりと学んでカタチにしていく力がつけば
そんなことも可能なのだと学んだ貴重な経験でした。
(※この話しは長いので、コチラにまとめました)